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ご都合主義な責任転嫁

2011/01/26 10:38

 

 未だ民主党信仰から解脱できない人達が心の拠り所にしてゐる言葉に「いまある『国の借金』は自民党政権が作った(から自民党に民主党の杜撰な豫算を批判する視覚はない)」といふものがある。

 それなら多くの愚昧な人達の声の大きさに惑はされず、舵取りを誤らずに日本を赤化から守った功績や、その結果として得られた戦後の高度成長は自民党が作ったことになるのかといふ話になるが、信心の篤い人に言はせれば「それは国民が頑張ったから関係ない」らしい。その国民は国や官僚の主導の下「護送船団方式」で成長してきた筈なんだが。

 信心の篤い人達にしか見えない幻影はさておくとして、今回は冒頭の小理屈の尻馬にのってみたい。つまり、「いまある『国の借金』」の責任論である。

 

 

 「国の借金」を一概に捉へて良いかは甚だ疑問があるが、財政的にあまり健全な状態ではないことは確かであらう。「国の借金」は完済せねばならない性質のものでもないし、外貨準備のやうに資産に裏打ちされた債務もあるから、債務の多寡で一々評価するのは妥当ではないかもしれないが、(リーマンショック直後の2009年はともかくとしても)民主党政権になってから2期連続で「債務増加に抑へが効かない」傾向にあることは確かである。

 

 確かにこの債務の増加傾向はなんとかせねばならない。では何故債務が増えていくかといへば、バブル後の税収はほぼ横ばいであるにも拘はらず、社会保障関係費は右肩上がりに上昇してゐるからだ。この社会保障関係費、主として医療費と年金なのであるが、これが増加していくであらうこと、そして現役世代の負担が過大になっていくことは、少なくとも30年以上前から指摘されてゐた。とくに年金に至っては、自転車操業となることを承知の上の制度だった。

  にも拘はらずだ。現在の老人達は一貫してなにもしてこなかった。いや、したことといへば問題の先送りと、老人への福祉の増加だ。

 

 1973年、高度成長を背景に全国で老人医療費を無料にした。いかにもポピュリズムの體現者(巧く利用したといふ意味で)である田中角栄政権によって生み出された愚策であった。それ以降老人医療費は増え始め、それを抑制する形で形ばかりの窓口負担制度ができたものの、その一方で高度先進医療が普及し、昔なら中風に当たればそのまま死ぬのが当然だったのが、何百万もかけて手術を行ひ、またその結果死ぬとしても、體中にチューブをつないで「脳は死んでるって言ふけどおじいさんの手足はまだあったかい」なんていふ無駄な感傷のためだけに一日あたり数十万から百万の金を掛けて生かされ続ける。そしてそれはほとんどすべてが公金で賄はれる。

 

 年金にしてもさうで、「将来の現役世代が負担する予定のものをはるかに上回る過大な年金支払を約束していた」(年金問題の正しい考え方―福祉国家は持続可能か (中公新書))。にも拘はらず、老人達は現役世代に過大な負担を負はせながら多大な年金を受け取り、その上年金が少ないだの、税金が高いだのと喚き、負担を拒否し利益を要求する。物価スライド制にしても、賃金や物価が下がれば年金を下げねばならないはずが、「特例措置」で高いまま維持される。

 

 

 こんなデタラメをしたら、そりゃあ財政だって破綻するだらう。 以上のデタラメは確かに自民党政権時代に作られた枠組みである。しかしそれならば、野党に「年寄り甘くすると財政破綻するからもっと福祉は絞ります」なんていった者があったか。自民党後期高齢者医療制度を作ったとき、何と言って悪し様に罵ってきたか。つまりこれは、高齢者と結託した与野党含むほとんどすべての議員による、一朝一夕ではない悪政なのである。

 

 

 代議士達ははなぜこんなにも老人を甘やかしてきたか。言ふまでもなく選挙ポピュリズムに他ならない。自分たちに甘い政策を言はねば選挙で投票しない。または弱者ぶって(弱者の味方部って)「老人イジメだ」と言ひ募り、 まるで政治には向かない人非人のやうなレッテルを貼る。

 大竹まことがTVタックルで「国民はバラ撒きなんて望んぢゃいない」なんて声を荒げてゐたが、そんなのは大嘘である。彼等は、政治家が自分たちに王侯貴族の暮らしを約束してくれないとなると、途端に自分が弱者であることを強調し、その政治家が「弱者の敵」であるかを主張するのだ。

 今回は老人を槍玉に挙げたが、これは「地方」についても同じ事が言へるだらう。地方自治なんて聞こえはいいが、本気でやったら破綻する自治體、行政サービスが死滅する自治體が山ほどでることは想像に難くない。「限界集落」などを山ほど抱えた地方が野垂れ死に覚悟で「地方自治」と言ってゐるなら大したものだが、そのやうな事態になれば「地方を切り捨てるのか」と言って弱者ぶり、やはり国にタカる気なのだらう。

 

 

 さて、今まで数十年に亘り斯様にデタラメな老人福祉政策を続けてきたのは、我々30代でも、増してはさらにその下の世代でもない。バブルで稼いだ資産と、氷河期世代以下の就職機会を奪ってまで守りぬいた退職金と、デタラメな設定の年金で悠々自適の暮らしを送る高齢者達である。

 この世代が苦い顔で「『国の借金』が」などと語ってゐるのを見ると、殴りつけたくなる程の憤りを覚える。自民党が『国の借金』を作ったのだとすれば、同じやうに老人達と地方民が『国の借金』を作らせてきたのだ。なのにその負担をなぜ、下の現役世代が担はねばならないのか。

 折しも年金の受給開始年齢が70以上になるかもしれないといふ観測も出始めてゐる。増税にしたってさうで、被害を受けるのは、賃金収入があり、住居などへの出費が豫定されてゐる我々現役代であって、年金程度しか所得がなく、すでに終の住処を持ち消耗品と嗜好品程度しか消費しない老人世代ではない。


 

 こんな意見を書くと「老人は死ねと言ふのか」と言った感情的批判が来るだらう。「さうだ。死ね。それも可能なら今すぐに」と言はざるを得ない。我々の世代が老人となった段にあっては、現在より篤い老人福祉を受けることは、さらに下の世代や移民などを奴隷の如く扱はない限り、いや、さうしたとしても不可能であらう。現在と同等の老人福祉すら誰も夢見てゐまい。

 要するに、この程度の話で「老人は死ね」といふことになるなら、我々の人生は既に「死ね」と言はれることを確約されてゐるのである。いや、それどころか「納税するだけ納税して、福祉の世話になる前に死ね」とすら言はれてゐる。

 ならばせめてこの現状のいびつな老人福祉を、今の現役世代が高齢者となった時代であっても確約できるレベルまで減らせと思ふのだのが、それがそんなにも酷い話なんだらうか。

 

 「若者は年寄りに席を譲れ」などとよくいはれる。それならば、「年寄りは若者に途を譲れ」とお返ししたい。

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粗雑な論理

2011/01/08 16:27

 

 程度の低い人がよくやる“反論”に、100の批判のうち反論しやすい一、二について反論し、それを以て自分への批判はこのやうに価値がないといふものがある。駝鳥が危機に際して地面に首を突っ込むがごとく(これは都市伝説らしいが)、自らの心の安寧にしかなりえない“反論”であるが、それで心が落ち着いて駅前で人を刺したり、火焔瓶で警官を殺傷したりしなくて済むなら結構なことである。

 

 さかなクンにさんづけするなと言ってお吠えになった城島センセ、今度は「犬が亡くなった」と犬に対して敬語とつかったことを揶揄されて、いや「亡くなった」を用ゐるのは正しいのだとお吠えになってをられる

 日本語に文句をつけられて作家センセの自尊心が大いに傷つけられてムキになって反論したといふところだらう。こんなのは作家や国語学者達の間でも見解が分かれるはなしであり、単なる価値観対立なのだから自らの正しさなんて證明出来るわけがないのだが、センセはそれを“證明”なさって得意になっていらっしゃる。

 それにしても、この程度の粗雑な論理で何か言った気になれるとは。戦前の良さをどこかに棄ててきて、戦後の良さが身につかなかった戦中派~団塊世代の自尊心といふのは、本当に便利にできてゐるものだと感心する。この作家センセ、「他の奴も『犬が亡くなった』と使ってゐる。こいつらにも抗議せよ」などと言って皮肉したつもりになっているが、その引用したwebの文章を書いた人達は、果たして「作家」を名乗ったり、日本語に一家言あるやうな顔をしてゐたりするのだらうか。「大センセ」が無自覚な日本語を書いゐるから揶揄したのだらうと筆者は愚考するが、大センセはミンシュ的にも、作家である自分の日本語能力と、役所だのの日本語能力は等しく扱はれて当然だとお思ひなんだらうか。

 

 

 それにしてもセンセ、webだからテキトーに書いていらっしゃるのか、校閲に馴れて初稿で決める能力が衰えてゐるのか、

 

 (このときに、「そうjじゃないだろう、『遣(つか)いにやる』という言い方だってあるだろうが」などといいだすと、話が限りなく広がってしまう。遺骸 についていっているのだから、直接関係ないことに触れる必要などないのだ。遺言、遺志、遺贈を考えるとき、犬や猫には該当しないこともわかる。このように してどんどん枝葉に入って行くと、終わりがなくなる)

 

 などと、それまで「」といふ字の意味について語ってゐながら、突然何の関係もない「」の字の意味を持ち出していらっしゃって意味不明である。餘程アタマに血が上ってらっしゃったのだらうかね。「遺骸」について語ってやうが何だらうが、「遺」といふ字について語ってたのなら「遣」の字については直接でも間接でも触れる必然性を感じられない。当然、「遣」と「遺」の字については異自体の関係にもない。

 ま、これは愛嬌としてもセンセはこんなこともお書きになってゐる。これは捨ておけない。

 

 遺体の「体」(たい。からだ)は、昔は「骨に本」と書く「骵」だった。これから類推すると、「骨に本」の「骵」は、「体」を意味しているのではないか、 あるいは、「骨と体」ではないかということになる。そう考えると、「遺体」というのは、「骨と体(肉と皮膚)をいっているのだな」と思えてくる。

 

 まずわけがわからない。文脈上「骵」といふ字がどこから湧いたのか知らないが、現在の「体」の字は「骨と肉と皮膚」を含む「からだ」意味なんだから、「体」といふ字がかつて「骵」だったなら、「『骨に本』の『骵』は、『体』を意味している」に決まってゐる。

  だいたい「体」はかつては「體」と書いた。「骨」はホネ。「豊」はものがきちんと並んでゐる意で、ホネが揃ってゐるから體なのである。(この「豊」は「ゆたか」って意味ぢゃないよ。戦後まで「ゆたか」は「豐」って字だよ。) センセが脈絡もなく持ち出した「骵」は、「躰」「軆」などとともに「體」の異字體にすぎない。そもそも「体」といふは本来「粗末」といふ意味であり、「體」とは違ふ漢字である(ただし簡体字としては用ゐられてきた)。「骵」を表意的に解釈するなら「骨のもととなるもの」とか「骨が集まって細長く形成されたもの」だらう。

 センセの御説はなんの説明にも類推にもなってゐないのだが(「骵」ぢゃなくて「體」だったら上記の引用箇所はどういう論理展開になるのかね。)、かういふ粗雑な論理を以て 

 言語学者による正式な見解ではないが、私はいつもこんな感じで、言葉や漢字を推理している。

  のださうだ。

 こんなのは民間語源(「オハイオ州の語源は『おはよう』だ」の類)であって、民間語源もジョークとして作るなら結構なことであるが、得意顔でやるのはバカのすることだらうに。言葉のプロ面して日本語について説教するなら、せめて誠実に字典なりを引いてみたらどうなんだらうか。

 

【付記】

 ところでこのセンセ、「目線」について「総理大臣が誤って使ったことなどにより、ここ数年で急速に一般化し」たと言ってゐるけど、1996年12月19日の朝日新聞夕刊(大阪支社)の記事に、当時よく紙面に登場するやうになった、考え方や立場の意で使はれる「目線」に違和感を覚える旨の投書があったことを伝へてゐるさうで、その後も2000年には各種辞典にもそのやうな用例が登録されはじめてゐる。これだと天下の朝日新聞も荷担したことになるんだが、作家センセとしてはどうお考へなのだらう。「総理大臣が誤って使った」と言ひたいだけちゃうんうか。そもそも、誰のことを念頭に置いてゐるのかしらないけど(まさか二世のはうの福田総理ぢゃないよね?)、2000年までの総理で「目線」って言ってた人なんかゐたっけ?

 人を悪くいふなら、せめて思ひ違いだったときに言ひ訳にできる程度の事実確認ってものをしといたはうがいいんぢゃないかと、筆者などは愚考する次第だが。

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「作家」の凋落

2010/12/26 02:05

 

 一昔前まで、作家・小説家と言へばインテリの代表のやうに思はれてゐた。それが崩れ始めたのは志茂田景樹がテレビに露出するやうになった頃からだらうか。今ではワイドショーで頭の悪さうなコメントをドヤ顔でしてゐるか、数千部のブンガクを細々と書いて同人誌より発行部数の少ない文学誌で得々としてゐるやうなイメージしかない。明治大正昭和初期の文学は、今でも人口に膾炙し、また中高生ぐらいからでも読まれてゐるといふのに、平成の文学はなぜ狭い世界にしか広がらないのだらう。それが深化の帰結といふならまだ救ひもあらうが。

 

    *

 

 「さかなクン」→「『さん』をつけろよデコ助野郎!」→「さかなクンさんすいまえんでした;;」ここまでがネットでの「お約束」である。他にも「○○の中の人は素晴らしいな」→「中の人などいない!」など、テンプレ(定型)とも言へるやりとりはネットに山ほどある。ちなみに「さんをつけろよデコ助野郎」はAKIRAといふマンガの映画版の台詞から取られてゐて、不自然なさんづけを強要する場合の常套句である。

 NHKの広報も承知の上で「お詫び」を書いたのだらうし、もしかしたら最初の脈絡のない(やうに見える)「さかなクン!ヽ(*´∀`)ノ」といふツイート自體が既にフリだったかもしれない。ともかくNHKのtwitter広報の中の人はかうしたネット文化に詳しい人なので(さうでなければ、きょうびネット広報などできまい)、この手のお遊びに乗ったのだらう。本気で謝ったのなら「 <(_ _)>」なんて顔文字はつけない。

 

 さて、さうした流れや遊び心をご存じない作家センセイが「日本語の乱れだ」といってお怒りになってゐるらしい。遊びと本気の区別もつかない作家センセイといふのも心許ないが、自分の無知を棚に上げて誤憤で他人を叱りつける上から目線だけは達者なのが実に“作家”らしくていらっしゃる。(ワイドショーに出てきさうな、といふ意味で。)ところでこのセンセ、団塊の世代なんだらうか。あの世代はさういふ根據のない上から目線が多いのが不思議。

 そんなにネット文化に興味がないなら、わざわざblogなんかで玉稿をタダで配らなくてもよからうに。ネットの利用価値には興味を持ちつつも、テレビにはテレビの、映画には映画の、雑誌には雑誌の約束があるやうに、ネットにはネットの約束がある、といふことにも思ひが至らなくてらっしゃるのだらうか。作家センセのblogのコメント欄は炎上してゐるやうだが、どうせ「そんな文化など俺が知るわけがない」などと逆ギレなさるのだらう。

 

 

 ところで、作家センセといへば猪瀬直樹センセの能なしっぷりも明らかになった。全く「blogとmixiとtwitterはバカのリトマス試験紙」とは良く言ったものである。

 猪瀬センセ、twitterで例のマンガ規制について(それ自體についてはここでは論評しない)、「名作なら(近親相姦の表現があっても)許される。名作かどうかの判断は都がする」と言ってのけた。驚きの発言である。度を超したエロ・グロを何らかの規制することに否やはない。それが厳しくあるべき緩くあるべきかについては議論の餘地はあれ、実務上の何らかの線は引かざるを得まいといふのは、餘程のアナーキスト以外誰もが認めるところであらう。だがその基準のひとつが「名作であるか否か」であり、その上「名作かどうかはお上が決める」ときた。表現の自由の観点からも、法治国家の観点からも、決して看過されていい発言ではない。

 世の中の作家センセ方は、大桃麻木のバトルとか、さかなクンさんとかどうでもいい話より、何故表現者としてこれにこそ怒り、抗議しないのか。所詮「マンガやアニメやゲームのような低俗な文化になら、いくらお上が介入してもいい」とでも思ってるのだらうか。小説だって100年前は「低俗な文化」だったことなど忘れて。

 

 

 そう。作家達は既に「体制」なのだ。自分の世界だけ識ってゐればよく、自分の世界だけ守れればそれでいいのだ。そりゃあ凡百の作家センセが束になってかかっても、水嶋ヒロのなんちゃって小説一冊に勝てないわけだよ。自分の世界に引き籠もった者の声が、他人の心に届くわけがないのだから。

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ベーシックインカムといふ迷妄

2010/12/24 01:06

 

 先日なんとなくテレビを見てゐたら、池上某の番組でベーシックインカムを持ち上げてゐて驚いた。思はず抗議の電話をしさうになったが、どうせ彼等には言っても無駄だらうから止めておいた。

  筆者はベーシックインカム(以下BI)をなぜ批判するか。単純な事で、今出回ってゐるベーシックインカム論は詐欺に近い妄想だからである。以下説明する。

 

 

 昨今出回ってゐるBI論はかうだ。「国民一人につき月8万円を支給し、年金や生活保護などの福祉の代はりとする」。

 

 まず、この時点で健康保険について触れられてゐない。保険料負担はこの8万円に含むのか否か。8万円から保険料と窓口負担を払ふのか、それとも現行のナマポのやうに医療費は公費負担とするのか。8万円から保険料と窓口負担を取られてはとても病気なんてできないわけで、全然セーフティーネットにならない。といふことで、BIには健康保険も含む前提で考へる。

 

 8万×12×1.3億≒125兆円。これがBIによる絶対的な支出額である。この時点ですでに昨年の豫算をオーバーしてゐる。単身生活者が家賃込みで8万円で生活できるとはとても思へず、おそらくは共同生活、下手すると貧困ビジネスの手配するタコ部屋でピンハネされて暮らすことになりさうだが、BI論者はBI導入で世界は薔薇色みたいなことをおっしゃるんだからそれを信じて計算を続ける。

 

 2009年の豫算ベースの社会保障給付が98.7兆。うち資産収入を除いた収入は91.4兆。国庫負担はこのうちの25%で、地方負担分と合わせても35%。それぞれ約25兆と9兆。つまり、今でも国は25兆円を社会保障に使ってゐる。

 

 社会保障給付費のうち、年金給付の51兆円はBi導入により丸々なくせることになる。(本当は今までの払ひ込み分を返済する事になる筈だが、池上某は「年金をなくす」とあっさり言ってゐたので没収できるものだと考へる。)

 だが医療費と介護の給付は削れない。「その他の給付」もBIに含むから廃止するとして、社会保障給付98兆円のうち約35兆円は、BIを導入しても支出として残る。ちなみにこれは、窓口負担分を含まない金額である。実際にBIに健康保険を繰り込むとしたら、最低限BIのみで生計を立てる者は窓口負担分もゼロにしなければ意味がないから、もっと膨らむ可能性がある。

 その一方で、年金と健保の廃止でこれらの保険料57兆円が得られなくなる。つまり、トータルで見れば、

 

 (収入)91.4-57+χ=(支出)35 χ:国による新たな負担

 

  国はBI導入・各種保険廃止によって0.6兆円以上の負担となる。要するに今まで通り社会保障関係費には、毎年25兆の豫算を計上しなければならない。ちなみにこれは地方負担分を除いた議論であって、この計算の前提ではBIを貰った者はそこから別途地方税を納めねばならない計算となる。

 

 ともかく、合はせて150兆。これに国債費20兆、地方交付税16兆、社会保障関係費を除く一般歳出27兆の計63兆が上乗せされて、約213兆。財政再建を目指すために国債発行額を44兆円(笑)として、約170兆の税収が必要といふことになる。 実際には関連事業の廃止などで浮く豫算もあるかもしれないが、それで10兆も20兆も浮くと考へる者があるなら相当おめでたい話だらう。
 

 2009年度の税収が37兆。うち所得税収が13兆。あらゆる税金を今の4倍にしてもまだ税収不足である。所得税だけでBIを賄ふとしたら、今の10倍取らねばならないことになる。ちなみに消費税収は7.3兆(国税分。よくある「消費税10兆円」は、地方税分も含んでいることがあるので注意。)なので、消費増税でBIを賄はうとするなら、だいたい税率95%は必要だらう。ちなみに消費税率が95%になると物価は単純計算で1.85倍になるから、「ベーシックインカムの8万円」は、今の貨幣価値で4.3万円程度にしかならないことになる。当然ながら、生活品への税率を下げた場合、生活品以外の税率は100%を超えることとなるだらう。

 

 

 池上某の番組では、BIのデメリットとして「財源」を挙げたものの、消費税率95%とかあらゆる税金を4倍以上にするとか、さういふ具體的な試算は隠蔽したままだった。これでは、テレビに乗せられてうっかり民主党に入れるやふなバカは確実に騙されるだらう。

 

 なんのことはない。BI論者は顔を真っ赤にして「これは資本主義の新形態だ」と言って否定するが、どう言ひ繕はうとも、「共産主義の夢、ふたたび」である。どちらも現実離れした妄想で、実現には奴隷を要し、歪んだ貴族を生み出すと言ふ点では変はりがない。だいたい、世界中でこんな馬鹿げた妄想をやらふとしてゐる国が未だひとつもないといふ時点で、どれだけファンタジックな話かわからうといふものではないか。仮にBIが現実的で合理的なのだとしても、他国が成功してから真似ればいいぢゃないか。BI論者にこそこの言葉を贈りたい。

 

一番ぢゃなきゃだめなんですか? 二番ぢゃだめなんですか?

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民主信者はどこまでバカなんだらう

2010/11/22 13:10

 

 柳田問題も罷免に限りなく近い辞任で決着がついたやうだが、どうも野党もマスコミも、追求が甘いんぢゃないだらうか。突っ込むポイントがてんでピンぼけしてゐる。

 問題とされてゐる発言はかうだ。

 法相とはいいですね。二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。これはいい文句ですよ。これを使う。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。これで、だいぶ切り抜けて参りましたけど、実際の問題なんですよ。しゃべれない。『法と証拠に基づいて、適切にやっております』。この二つなんですよ。まあ、何回使ったことか。使うたびに、野党からは責められ。政治家としての答えじゃないとさんざん怒られている。ただ、法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話。法を守って私は答弁している。

 大臣がそんなことおおっぴらに言っちゃいけない、といふ点を差し置くとしても、「法務関係は1回も触れたことはない」柳田大臣が、専門性の高い法務問題について、斯様なボット式答弁に終始するのはしゃうがないかもしれない。自民党政権時代も、田中真紀子の科学技術庁長官のやうな胡散臭い人事や、田中真紀子の外相のやうにポピュリズムとしか言ひ様のない人事だってあったわけだし、同様にボット式答弁をした大臣もゐただらう。

 しかしだ。民主党は「脱官僚」を訴へて政権を奪取したのではなかったのか。実務経験もなく「皆さん『何で柳田さんが法相』と理解に苦しんでいる」といふ程の素人を大臣に据ゑて、一体どうやって官僚と戦ふつもりなのか。官僚支配をどう脱しやうといふのか。しかもこれ、入れ知恵したの法務官僚だらう? これでは自民党族議員のはうが、(善し悪しは別としても)政治主導と言ふ意味ではまだマシぢゃないか。それとも何か。不慣れな役職に就かせて、わからないことがあったら官僚に教はった通りにボット答弁させるのが民主党のいふ政治主導か。

 

 民主党信者の諸君。柳田を辯護したり自民党の失言を引っ張り出して現実逃避する暇があるなら、なぜこの変質・堕落を批判しない。それとも諸君はもはや「脱官僚」すら諦めたのか? だとしたら今諸君が民主党にしがみつく理由は何だ。反日政策か? それとも「こんな屑を信じてしまったバカな自分」を受け入れられないってだけ?

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民主党にはもうゐなくなってしまったかと思ったが

2010/11/10 18:59

 

 久しぶりのブーメラン職人藝を見た。既にさんざん既出だらうが、逮捕された支那人船長を英雄扱ひしてゐるどこぞの国についても何か喋っていただきたいものだ。

 

 さすが文革をおっぱじめただけのことはある。

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もうじき一年

2010/08/17 03:48

 

 筆者が民主主義とか集合知とか、さういふものを信じなくなって一年が過ぎやうとしてゐます。みなさまお元気でせうか。

 

 このやうな中吊りを未だ記憶に留めてらっしゃる方がゐれば幸いです。

 

 

http://publications.asahi.com/syukan/nakazuri/image/20090918.jpg

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こんなのは許しちゃいかん

2010/08/09 17:56

 

 サウナ我慢大会で死亡と聞いたので、てっきり昨今流行中の熱中症的なものだと思ってゐたら、死因がどう見ても全身火傷で驚き呆れた。開催者の無知にも程がある。外国の話だから偉さうに言ふのもなんだが、こんなのは主催者に刑事責任をきっちり取らせるべきであらう。

 

 空気は水と比べて熱伝導率が低い。その上、人体の周囲に冷たい空気(肌に触れて冷やされた空気や、汗の蒸発によって冷やされた空気)が保護層のやうなものを作るから、乾燥した空気中なら人は結構耐えられる。空気の層をより多く纏うことができるやうに厚着することで、乾燥した空気であれば260度の温度にも耐えることができる。ちなみに裸だと205度が限界ださうだ。(どれぐらゐの時間耐へられるのかは失念。1分とか2分だった気がするが。)

 

 だが、湿度が上がれば話は別だ。100度のドライサウナなら誰だって平気だが、60度の湯気には熱くて手をひっこめる。もともと水蒸気は熱を伝へ易い(伝熱係数が高い)ので、冷たい空気の層を一気に失ってしまふのだ。「水で焼く」オーブンを最近耳にするが、これは高温水蒸気のこの性質を用いたものである。美浜原発の水蒸気漏れ事故も、140度程度の水蒸気であった。おそらく浴びたのは一瞬だったらうが、高温水蒸気はそれほど強烈に熱を伝へるのである。

 

 人間の身体は弱いもので、42度以上には耐へられない。42度といふのは、身体を構成する蛋白質に「火が通る」温度で(場所によってはもっと低くても機能停止する。睾丸や眼球など)、身体がこれより高い温度に保たれると負傷もしくは死亡の可能性が出てくる。テレビの「熱湯風呂」は51度なんださうで、30秒程度ならこの温度でも皮膚が防御層となって火傷をせずにすむさうだが、それでも長時間浸かってゐるとヤバい。湯たんぽの「低温火傷」のやうに、やはり火傷してしまふ。

 

 こんなのはちょっと物理だの生理学だのをやってれば常識だと思ふのだが、「サウナの本場」であらせられるとことのフィンランドで、サウナ我慢大会の主催者の誰もがこの程度の事も知らなかったのだらうか。

 我慢大会をするなら燃料をくべるなどしてサウナの気温を上げるべきで、いくらそれがフィンランド式であらうとも、湿度はあげるべきではない。温度なら急激にはあがらないし、急に耐えられない温度まで上がったとしても、前述のやうに「空気の層」があるから被害は限定的なのである。ところが湿度は一気に上げることが可能だから、対処しやうもなく「空気の層」が奪はれて危険である。現に被害者の写真を見れば、鼻の粘膜が熱傷で損なはれてゐるやうである(おそらく気道も熱傷を負ってゐるだらう。死因は窒息かもしれない)。これは急激な湿度上昇で、空気の層が奪はれた証拠だ。燃料代ケチったんだらうかね。

 

 

 主催者の無知も大概なものだが、かういふ事件でこの手の大会が中止してしまふやうな風潮は筆者は好きではない。今回の主催者が処罰されるのは当然としても、安全を確保した形で続けてほしいと思ふ。

 だいたい、我慢比べなら何人か医者をつけとけっての。

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憲法第73条の1

2010/07/28 13:08

 

やってみせ、言ってきかせて、させてみて、誉めてやらねば人は動かじ

 

 民主党政権や千葉法相には色々言ひたいこともあるが、ここは素直にグッジョブと言っておかうと思ふ。

 

 当たり前の事をしただけなのに褒めるなって? 少なくとも今まで当たり前の事すらできていなかったのだから、大いなる進歩ではありませんか。

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「問題がない」って言ってた人、どうするの?

2010/06/11 13:28

 

 荒井戦略相本人がマスコミにつっこまれて「本当? ちょっと叱っておく」といふやうな怪しげな領収書を、ロクにチェックもせずにスルーしておいて、(本人も含めて)何をどう調べた挙げ句の「問題はない」だったんだらうか。

 

1.目がフシアナである。この調子では仕分けも行政チェックもフシアナである。

2.他人には厳しいが、民主党の身内には甘い。「ソ連の核は綺麗な核」。

3.宛名のないキャミソールや少女マンガの領収書が経費になると本気で思ってゐた程の世間知らず。

4.その場しのぎで適当なことを言ってゐただけ。元々チェックなんてしてゐない。

5.倫理的に問題はあっても、法にちょっとぐらゐ触れてゐたとしても、立件されてゐないから「問題ない」といふ遵法意識・倫理観の高さのなせる業。

 

 どれだらう。民主党信者のみなさん、どれだと思ふ? 

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