未だ民主党信仰から解脱できない人達が心の拠り所にしてゐる言葉に「いまある『国の借金』は自民党政権が作った(から自民党に民主党の杜撰な豫算を批判する視覚はない)」といふものがある。
それなら多くの愚昧な人達の声の大きさに惑はされず、舵取りを誤らずに日本を赤化から守った功績や、その結果として得られた戦後の高度成長は自民党が作ったことになるのかといふ話になるが、信心の篤い人に言はせれば「それは国民が頑張ったから関係ない」らしい。その国民は国や官僚の主導の下「護送船団方式」で成長してきた筈なんだが。
信心の篤い人達にしか見えない幻影はさておくとして、今回は冒頭の小理屈の尻馬にのってみたい。つまり、「いまある『国の借金』」の責任論である。
「国の借金」を一概に捉へて良いかは甚だ疑問があるが、財政的にあまり健全な状態ではないことは確かであらう。「国の借金」は完済せねばならない性質のものでもないし、外貨準備のやうに資産に裏打ちされた債務もあるから、債務の多寡で一々評価するのは妥当ではないかもしれないが、(リーマンショック直後の2009年はともかくとしても)民主党政権になってから2期連続で「債務増加に抑へが効かない」傾向にあることは確かである。
確かにこの債務の増加傾向はなんとかせねばならない。では何故債務が増えていくかといへば、バブル後の税収はほぼ横ばいであるにも拘はらず、社会保障関係費は右肩上がりに上昇してゐるからだ。この社会保障関係費、主として医療費と年金なのであるが、これが増加していくであらうこと、そして現役世代の負担が過大になっていくことは、少なくとも30年以上前から指摘されてゐた。とくに年金に至っては、自転車操業となることを承知の上の制度だった。
1973年、高度成長を背景に全国で老人医療費を無料にした。いかにもポピュリズムの體現者(巧く利用したといふ意味で)である田中角栄政権によって生み出された愚策であった。それ以降老人医療費は増え始め、それを抑制する形で形ばかりの窓口負担制度ができたものの、その一方で高度先進医療が普及し、昔なら中風に当たればそのまま死ぬのが当然だったのが、何百万もかけて手術を行ひ、またその結果死ぬとしても、體中にチューブをつないで「脳は死んでるって言ふけどおじいさんの手足はまだあったかい」なんていふ無駄な感傷のためだけに一日あたり数十万から百万の金を掛けて生かされ続ける。そしてそれはほとんどすべてが公金で賄はれる。
年金にしてもさうで、「将来の現役世代が負担する予定のものをはるかに上回る過大な年金支払を約束していた」(年金問題の正しい考え方―福祉国家は持続可能か (中公新書))。にも拘はらず、老人達は現役世代に過大な負担を負はせながら多大な年金を受け取り、その上年金が少ないだの、税金が高いだのと喚き、負担を拒否し利益を要求する。物価スライド制にしても、賃金や物価が下がれば年金を下げねばならないはずが、「特例措置」で高いまま維持される。
こんなデタラメをしたら、そりゃあ財政だって破綻するだらう。 以上のデタラメは確かに自民党政権時代に作られた枠組みである。しかしそれならば、野党に「年寄り甘くすると財政破綻するからもっと福祉は絞ります」なんていった者があったか。自民党が後期高齢者医療制度を作ったとき、何と言って悪し様に罵ってきたか。つまりこれは、高齢者と結託した与野党含むほとんどすべての議員による、一朝一夕ではない悪政なのである。
代議士達ははなぜこんなにも老人を甘やかしてきたか。言ふまでもなく選挙ポピュリズムに他ならない。自分たちに甘い政策を言はねば選挙で投票しない。または弱者ぶって(弱者の味方部って)「老人イジメだ」と言ひ募り、 まるで政治には向かない人非人のやうなレッテルを貼る。
大竹まことがTVタックルで「国民はバラ撒きなんて望んぢゃいない」なんて声を荒げてゐたが、そんなのは大嘘である。彼等は、政治家が自分たちに王侯貴族の暮らしを約束してくれないとなると、途端に自分が弱者であることを強調し、その政治家が「弱者の敵」であるかを主張するのだ。
今回は老人を槍玉に挙げたが、これは「地方」についても同じ事が言へるだらう。地方自治なんて聞こえはいいが、本気でやったら破綻する自治體、行政サービスが死滅する自治體が山ほどでることは想像に難くない。「限界集落」などを山ほど抱えた地方が野垂れ死に覚悟で「地方自治」と言ってゐるなら大したものだが、そのやうな事態になれば「地方を切り捨てるのか」と言って弱者ぶり、やはり国にタカる気なのだらう。
さて、今まで数十年に亘り斯様にデタラメな老人福祉政策を続けてきたのは、我々30代でも、増してはさらにその下の世代でもない。バブルで稼いだ資産と、氷河期世代以下の就職機会を奪ってまで守りぬいた退職金と、デタラメな設定の年金で悠々自適の暮らしを送る高齢者達である。
この世代が苦い顔で「『国の借金』が」などと語ってゐるのを見ると、殴りつけたくなる程の憤りを覚える。自民党が『国の借金』を作ったのだとすれば、同じやうに老人達と地方民が『国の借金』を作らせてきたのだ。なのにその負担をなぜ、下の現役世代が担はねばならないのか。
折しも年金の受給開始年齢が70以上になるかもしれないといふ観測も出始めてゐる。増税にしたってさうで、被害を受けるのは、賃金収入があり、住居などへの出費が豫定されてゐる我々現役代であって、年金程度しか所得がなく、すでに終の住処を持ち消耗品と嗜好品程度しか消費しない老人世代ではない。
こんな意見を書くと「老人は死ねと言ふのか」と言った感情的批判が来るだらう。「さうだ。死ね。それも可能なら今すぐに」と言はざるを得ない。我々の世代が老人となった段にあっては、現在より篤い老人福祉を受けることは、さらに下の世代や移民などを奴隷の如く扱はない限り、いや、さうしたとしても不可能であらう。現在と同等の老人福祉すら誰も夢見てゐまい。
要するに、この程度の話で「老人は死ね」といふことになるなら、我々の人生は既に「死ね」と言はれることを確約されてゐるのである。いや、それどころか「納税するだけ納税して、福祉の世話になる前に死ね」とすら言はれてゐる。
ならばせめてこの現状のいびつな老人福祉を、今の現役世代が高齢者となった時代であっても確約できるレベルまで減らせと思ふのだのが、それがそんなにも酷い話なんだらうか。
「若者は年寄りに席を譲れ」などとよくいはれる。それならば、「年寄りは若者に途を譲れ」とお返ししたい。


by ミ ´Å`彡
もうじき一年